CARS Report

第14回モナコ・ヒストリックGPで久保田克昭が2度目の優勝!!

2024.05.22
さる5月10日から12日にかけて開催された第14回モナコ・ヒストリック・グランプリ、セリエDにおいて、1971年型ロータス72で出場したPLANEX CARS代表の久保田克昭が、2014年に続き2度目の優勝を果たしました!!


戦前のグランプリ・マシンから、1980年代のF1までを対象に、F1モナコ・グランプリの市街地コースそのものを使って2年に1度開催されるモナコ・ヒストリック・グランプリは、世界で最も敷居が高く、華やかで、過激な究極のジェントルマン・レースです。今回も8つのカテゴリーに世界各地から212台ものマシンが集結しました。
そのうち久保田は1961年から65年までの1.5リッターF1で競われるセリエBに1962 年型ロータス24F1で、1966年から72年までのF1マシンを対象としたセリエDに1972年型ロータス72で出場しました。
セリエB
前回はロータス18F1で出場しましたが、ロータス24F1でモナコを走るのは今回が初めて。金曜に行われたプラクティスでは、常勝を誇るアンディ・ミドルハーストのロータス25が1分50秒547を記録してトップに立ちますが、久保田も順調に周回を重ねますが、ギヤレシオが合っていない上に、入りづらいというトラブルが発生。1分59秒台で9番手のタイムを記録します。
そこでメンテナンスを行うミラージュ・エンジニアリングではイギリスからパーツを運び、土曜の予選終了後にギヤボックスの修理をすることを決断。したがって予選では、シフトに注意しながら最低限の走行をして予選をクリアすることに集中。わずか4周の周回で15番グリッドを確保して走行を終了しました。
迎えた日曜の決勝。グリッドについた久保田はギヤの入りが渋いことを訴えますが、スタートをうまく決めると、ギヤボックスを労わりつつ徐々にペースアップ。1分56秒台までタイムを詰めながら、前車をパスしていき最終的に11位でゴールしました。
セリエD
一方、ロータス72で出場したセリエDは、2014年のレースで優勝争いをして以来、常に久保田のライバルであり続けているマイケル・ライオンズのサーティースTS9のほか、レッドブルF1からの離脱で話題を集めるエイドリアン・ニューイのロータス49Bなど強豪ぞろい。
今回は「とにかく完走」を目標に掲げる久保田は、着実かつ軽快な走りで1分37秒646を記録し2番手のタイムを記録。しかしながら今回も好調のライオンズのサーティースTS9からは1.8秒離されてしまいます。
続く土曜の予選では序盤に2番手タイムをマーク。しかしながら3位以下とのタイムも接近しているため、再度逆転のポールポジションを狙ってアタックを試みます。ところが、鬼門のタバコ・コーナーでガードレールに接触。フロントノーズ、リヤホイール、リヤウイングだけでなく、リヤのサブフレームが曲がるほどの大きなダメージを負ってしまいました。
通常ならそこで出場断念となってもおかしくない状況でしたが、ミラージュ・エンジニアリングのケヴィン・スミスは修理を決断。ハナシマレーシングの花島広樹さんも加わり、スペアパーツがないものは現場で加工、自作して、メカニック総出での修理を始めます。作業は夜中まで続いたものの、なんとか終了。しかしながらリヤウイングは傾いだままで正常なアライメントも取れない手負いの状態となってしまいました。
そして迎えた日曜午前の決勝レース。Sスタートで2番手グリッドの久保田は見事な反応を見せますが、その後の加速が伸びず、1コーナー手前でマシュー・リグレーのマーチ721Gに並ばれてしまいます。そこで「一緒にコーナーに入っていくほど、信用できる腕の持ち主ではない」と判断した久保田は、一旦後ろに下がり3番手キープで周回を続けます。
当初は「3位表彰台狙い」で堅実に走っていた久保田ですが、修復したマシンの状態は完璧で、徐々にペースアップ。すでにライオンズのサーティースは独走状態に入っていましたが、久保田は彼をも上回るペースで追撃を開始します。
そしてリグレーのマーチとの差が詰まった8周目の1コーナーで、プレッシャーに負けたリグレーがブレーキングミスでオーバーラン。久保田は難なく2位に上がります。そこからもレース中のファステストであり、久保田のパーソナルベストも更新する1分33秒839を記録してライオンズを追うと、ハイペースが祟ったライオンズのマシンにギヤボックス・トラブルが発生。9周目のラスカス・コーナーでスピンしコース上にストップしてしまいました。
直後まで迫っていた久保田はそこで冷静にライオンズをかわすとトップに浮上。後続との間に十分なギャップがあるのを確認すると、ペースダウンして12周を走り切り、見事2014年に続く10年ぶりのモナコ・ヒストリックGP優勝を果たしたのでした。
「先月25日に父が亡くなり、出場辞退も考えましたが、僕が好きなことを思いっきりやるのも供養になると思い走りました。レースでは父が僕をプッシュしてくれた気がします」
とゴール後のインタビューで語っていた久保田。日の丸の旗がなびき、モナコの空に君が代が響き渡った表彰台では、その思いが爆発し涙に溢れた表彰式になりました。
「2002年に初めてモナコ・ヒストリックを見て“自分の手でモナコに君が代を流したい”と思ったのがきっかけ。2006年から出場して2014年にその夢を実現できて、もう一度……と思いながら、ここ数年結果に恵まれなかっただけに本当に嬉しいです。マシンは完璧でした。直してくれたメカニックたちに感謝します」
現地で応援いただいた皆さん、ライブ配信などで応援していただいた皆さん、そして様々な形でサポートしていただいた皆さん、本当にありがとうございました!
なお久保田の快挙はオートスポーツWebGENROQ Webなどのウェブメディアのほか、CG NEO CLASSIC、ENGINEといった主要自動車誌にも取り上げられています。ぜひご覧ください。