今日はプラネックスカーズのショールームに現在展示中のアストン・マーティンDB5のお話です。
アストン・マーティンDB5というと、映画『007 ゴールドフィンガー (1964年公開)』に登場する
ボンドカー! と連想される方も多いかもしれませんが、実はDB5はボンドカーじゃないんです。
実は、映画に登場したアストンは、厳密にいうとそもそも
DB4 シリーズ5ヴァンテッジとして製造された個体。
しかしながら、またファクトリーに戻されDB5のプロトタイプとして
手直しされてDP216/1という名でアールズコート・モーターショーに展示。
その後、今度は映画用に改装がなされて使われたという数奇な運命を辿っています。
ちなみに映画撮影後にDB5に戻されて放出されますが、後のオーナーが再びボンドカーに改装。
数年前にもオークションで高値で取り引きされて話題になりました。
ではなんでそんなことが起こるのか? というと
1958年に近代アストンの祖としてデビューしたDB4は、1963年の生産終了までの間に
内外装ともに様々な変更をうけ、最終モデルのDB4 シリーズ5の時点で、
ほぼDB5に近い姿に変わっていたからなのです。
おそらくパッと見ただけで、DB4シリーズ5とDB5を見分けるのは困難だと思います。
では、DB4シリーズ5とDB5の何が違うのか? というと、そのひとつはエンジン。
排気量が3995cc(DB4は3670cc)に拡大され、SU HD8キャブレターが3基(DB4は2基)に。
さらに圧縮比も8.9:1となるなど、様々な改良をうけ、282bhp//5500r.p.m.を発揮するに至りました。
(DB4は240bhp、DB4ヴァンテージは266bhp)
さらにDB4のコンペティション・バージョンといえるDB4GTに採用された
ガーリング製のディスクブレーキが装着されたのも、DB5のトピックといえました。
現在プラネックスカーズに展示中のDB5は、シャシーナンバーDB5 /1855/Rをもつ1965年型。
シャシーナンバー1340以降は、それまでのDB製4段から、ZF製の5段ギアボックスに
変更され、よりドライバビリティが向上しており、ある意味DB5の完成形といえるモデルといえます。
インテリアはもちろん、フルオリジナル。
ラジオも当時モノが残されているなど、貴重です。
時計の横に付くのは、パワーウインドーのスイッチ!
赤いコノリーレザーのシートは張り替えなしのオリジナル。
皺がよった状態を好ましく思わない方もいらっしゃるかもしれませんが、
実はオリジナル・コノリーがそのまま残されていると言うのは、高ポイント!
レストアして張り替えてしまうと、どうしても本来の風合いとは違ったものになってしまうのです。
マメに手入れをしながら、乗り込んでいけば、どんどん味わい深いシートになっていくはず!
リアシートは、ほぼ使用感ゼロといったコンディション。
素晴らしい!
ちょっと暗くてよく見えないかもしれませんが、
パワーウインドー付きなので、ドアトリムにはアームレストと
ドアハンドルしか付きません。
ちなみにドアの端には、開けると赤いワーニングランプが付くようになっています。
アストンDB4/5の特徴といえば、ボディに
イタリアのカロッツェリア、トゥーリングが特許をもっていた
スーパーレッジェーラという工法を採用しているところ。
これはスペースフレーム的にボディ骨格を形成するスティールチューブに、
軽合金のボディパネルを溶接していくというスタイルのもので、
当時としては高剛性のボディを作ることができる画期的なものでした。
ルーフを覗くとみえる梁はその名残(トリムはオリジナルのままです!)。
ただ、手間とコストが掛かる方式のため、アストンがスーパーレッジェーラを採用したのはDB5まで。
実際、パテントを持っていたトゥーリング社自体も経営悪化でその後倒産しています。
ボンネットフードには、誇らしくスーパーレッジェーラとエンブレムが付きます。
ボディの製造はイタリアではなく、アストンの自社工場ニューポート・パグネルで行われました。
アストン・マーティンDB5が製造されたのは、1963年6月から1965年9月までのわずか27ヶ月間。
その間に生産された台数は、コンバーティブルを合わせて1021台と言われています。