CARS Report

13e Grand Prix Monaco Historique

2022.06.21
ご報告が遅くなりましたが、5月13日から15日にかけてモナコ市街地コースで開催される、世界最高峰のヒストリック・フォーミュラカー・レース、第13回モナコ・ヒストリック・グランプリにPLANEX CAR代表の久保田克昭が出場しました。
モナコ市街地コースを使って通常は2年に1度のペースで行われているモナコ・ヒストリックGP。2020年の第12回がCOVD-19のために昨年に延期されたこともあり、第13回目となる今回は2年連続で行われることになりました。
戦前車のレースAから、1985年のF1によるレースGまで7つのカテゴリーに出場したマシンの合計は180台以上! 今回から観客席にも大勢のお客さんが戻り、コロナ前と変わらぬ賑やかな週末となりました。


また土曜には、チャップマン・ファミリーと共に歴代ロータスF1マシンをグリッドに並べ、昨年亡くなったヘイゼル・チャップマンを偲ぶ特別なセレモニーも開催。久保田もロータス18で参加しています。
ここからはそんな話題満載のモナコ・ヒストリックGPに過去最多となる3カテゴリー出走を果たした久保田のレポートをお届けします。
Race B – Graham Hill(Rear-engine, 1500, F1 Grand Prix cars from 1961 to 1965 and F2)
No.26 1960 LOTUS 18
Result:Race 17th/ Grid 13th
1965年までの1.5リッターF1もしくは1リッターF2を対象としたレースB。今回は王者アンディ・ミドルハーストのロータス25がエントリーしていなかったが、それでも29台ものマシンが出走しました。
このレースに久保田は昨年のグッドウッド・リバイバルでデビューさせた愛機ロータス18F1で、初めてモナコにエントリーしました。
久保田曰く、独特の構造をもつシーケンシャル・ギヤボックスは2.5リッターF1用に作られているため、現在1.5リッター仕様となっている久保田のマシンでは頻繁に使用する2速ギヤのギヤ比があっておらず、1コーナーの立ち上がりなどで他車に遅れてしまうとのこと。
そうした不利な状況をなんとか腕でカバーしながら走った久保田は、金曜のプラクティスでは2分2秒254を記録して9番手タイムを記録。翌土曜の予選では2分2秒004にタイムアップを果たしたものの、13番グリッドからのスタートとなりました。
日曜の第1レースとして朝8時にスタートしたレースBの決勝。レースはポールポジションからスタートしたジョー・コルサッコのフェラーリ1512と、2番手からスタートしたマーク・ショーのロータス21との一騎討ちとなりました。
その後方で好スタートを決めた久保田は、前日のクラッシュで痛めた足を庇いながらも果敢にプッシュ。中団で同じ18F1を駆るアンドレア・ストルトーニらと激しいバトルを繰り広げます。しかしながら合わないギヤ比と、華奢な構造ゆえ無理をせずに走った結果、2分1秒475までラップタイムを上げたものの、最終的に17位でフィニッシュとなりました。
「18で走るモナコも楽しかったです。ただこのギヤボックスでこれ以上走るのは難しかったですね。そういう意味ではかなりプッシュできました。この後、最初の2.5リッターF1仕様に戻すので、またグッドウッドなどで違うレースをお見せできると思います」
Race D – Jackie Stewart (F1 Grand Prix cars 3L from 1966 to 1972)
No.2 1971 LOTUS 72
Result:Race DNS/ Grid 17th
2014年のこのクラスで、日本人として全カテゴリーを通じて初のモナコ総合優勝を飾った経験をもつ久保田。その栄光を再現すべく、4年ぶりにロータス72でのエントリーを果たしました。
ドニントン・パークのテストでは、格上のウイングカー勢に迫るタイムを記録するなど好調が伝えられていましたが、金曜のプラクティスでもキレッキレの動きを見せる絶好調ぶり。アストン・マーティン・ワークスとしてWECやル・マンにも出場しているNo.15 ホール・スチュアートのマクラーレンM19Aに1.7秒差の1分33秒512で2番手タイムを記録します。
「ものすごく乗りやすくて、まだまだいける感じだった。予選は最後の最後にラバーが乗った状態の時に最高の走りが出来るよう、タイヤの内圧を落として徐々にペースを上げていくよう、あえて最後尾がからコースインしました」
と久保田自身が振り返るように、これまでで最高の仕上がりといえる状態の久保田と72は満を辞して土曜の予選に臨みます。
徐々にペースを上げていく……といいつつも、他のマシンに比べると圧倒的に速いペースで周回を続ける久保田。ところが、3周目のタバコ・コーナーで右サイドがガードレールに接触してクラッシュ。サスペンションがもげてしまうほどの激しいものでしたが、久保田は無事にマシンから脱出しました。
「当たった瞬間はマシンを仕上げてくれたメカのケヴィンに悪いって思いましたね。本当に調子が良くて誰にも負ける気がしませんでした。今思うと、もうまだペースを上げるには早かったかな?と思いますね。でもそのくらい乗れていたので残念でした」
メンテナンスを担当するHASU RACINGはもとより、周りのエントラントも協力してなんとか久保田のマシンを修復しようと努力が続けられたものの、モノコックにまでダメージが及んでおり、現場での修復は不可能と判断。残念ながらそこでリタイアとなってしまいました。
しかもピットに戻ってみると、モノコックに打ち付けた久保田の右足は大きく腫れ上がってしまい歩くのも困難な状態に。翌日以降の出走も危ぶまれましたが、元ブリヂストンのモータースポーツ推進室長で、現在はモナコにお住まいの安川ひろしさんが、わざわざ久保田のホテルまで湿布やロキソニンを届けてくれたおかげで持ち直すことができた。
「足がパンパンに腫れて不安になっていた時に、安川さんの心遣いは本当にありがたかったです。おかげで翌日も走れるようになりました。本当に感謝しています」
Race G – Ayrton Senna(F1 Grand Prix cars 3L from 1981 to 1985)
No.12 1982 LOTUS 91
Result:Race 5th/ Grid 8th
今回から新たに“アイルトン・セナ・クラス”として加わったのが最終のレースG。当初はターボカーを対象とするということで、久保田もロータス97Tの準備を進めていたのですが、安全上などの問題によって、1985年までのNAマシンにレギュレーションを変更。
久保田のマシンもマスターズ・ヒストリック・フォーミュラ・ワンに参戦中のロータス91へと変更になりました。
「ロータス72では完璧にマシンが仕上がっているので、どこを走っても跳ねないのですが、モナコ初参加の91はスプリングも硬く、セッティングが決まっていなくて、ピョコピョコ跳ねる状態でした。でもケン・マツウラ&ハナシマ・レーシング特製のエンジンは誰にも負けていませんでした」
ル・マン・ウィナーのマルコ・ヴェルナーが87B、ヒストリック・モナコ・マイズターのウィリアム・ライオンズが92、そしてベテラン、ニック・パドモアが88Bで出場するなど競合が揃ってロータスで参戦するなど大激戦となったレースG。
土曜に行われた予選では徐々にペースアップを果たし1分34秒995を叩き出し、いざタイムアタック!というところで左リヤサスペンションのアームが折れるトラブルが発生。その状況にもかかわらず8番グリッドを確保しました。
レースGの決勝は日曜の最終レースだったため、レースBに出場した久保田にとっては途中丸1日近くインターバルが空いてしまう、集中力を保つのに難しいスケジュールとなりましたが、メンテナンスを担当するFront Row Racingの奮闘でサスペンション・トラブルは完治。足の痛みは残るものの、8番グリッドからのスタートとなりました。
オープニングラップの争いの中で、GTドライバーでもあるフランク・スティップラーのアルファロメオ182にかわされてポジションを落としたものの、荒れたレースの中で果敢かつ冷静にバトルを展開。
「何度も危ない場面があったのですが“人間ABS”を駆使して、なんとか切り抜けました。もちろん表彰台に立てれば最高でしたが、あの状況の中でこれだけのレースをできたのは自分の自信にもなりました。そういう意味でも自分のレース経験の中でも五指に入るような良いレースができたと満足しています」
と語るように難しいコンディションにもかかわらず、攻め続けてポジションをアップしていった久保田は、最後の最後で5位まで浮上してフィニッシュ。値千金の入賞を勝ち取りました。
72でクラッシュした時には、もうレースは全部やめてしまおうかと思った。でもホテルに戻ってシャンパンを飲んだら、このままじゃ終われないという気持ちになった」
という久保田。コロナによってモナコを含め昨年のレースのほとんどを欠場せざるを得ず、ライバルに比べて圧倒的に不利な状況だったものの、モナコの週末で新たな手応えと、目標を掴んだようです。
「レースもそうでしたが、HASU RACINGやFront Row Racingの面々、モナコのために来てくれたケヴィン、素晴らしいホスピタリティを提供してくれたニック・フェネルの奥様の佐知子さんや、デューク更家さんの奥様。そしてわざわざ薬を届けてくださった安川さんなど、本当に人の縁、出会いに助けられ、勇気づけられたモナコでした。60歳を過ぎてもまだまだドライビングは進化し続けているし、これからも頑張りますので、応援お願いします!」